学術情報

第9回ラクトフェリン国際会議にみるラクトフェリン研究の最新事情

島 敬一

はじめに

昨秋、北京で第9回ラクトフェリン国際会議が開催されました。2年毎に開かれるこの国際会議(http://www.lactoferrin-conference.com/)には、ラクトフェリン研究の現在が凝縮しているので、簡潔に私から見た印象を紹介いたします。

会議の概要


写真1 会場の北京友誼館の外観

会場は北京友誼館(写真1)、会期は平成21年10月18日から22日までの5日間で、組織委員長はJ. Wang教授 (Chinese Academy of Agricultural Sciences)でした。口頭発表数は45題、ポスター発表が36題で、参加者リストには全部で132名がエントリーされ、日本からの参加者は19名となっていました。なお、この国際会議は10名の国際委員で運営され、日本からは津田(名古屋市大)と島崎がメンバーとなっています。

プログラムについて


写真2 会場内の様子(村田撮影)

全ての発表を同一会場で行うこれまでの方式が踏襲され、内容によって下記の9つのセクションに分かれてプログラムが組まれ、それぞれの口頭発表数が4〜6題でした。

  1. 立体構造と機能の相関
  2. ラクトフェリンリガンドとレセプター
  3. 細胞増殖・分化の制御
  4. ラクトフェリンの免疫賦活作用
  5. 病理学におけるラクトフェリン
  6. ラクトフェリンとそのペプチドの抗菌性
  7. ラクトフェリン由来ペプチドの分子設計と発現
  8. 組換えラクトフェリンとトランスジェニック
  9. ラクトフェリンの応用

なお今回は、これまでラクトフェリン研究に多大な貢献をされた故G.Spik教授(フランス)を記念した賞が設けられました。

中国の組換えラクトフェリン研究


写真3 展示ブースでは
やはり中国企業が目立った

中国研究陣の発表は組換えラクトフェリン関連のものが合計8題もありました1)。このことは中国のラクトフェリン研究の今を反映しており、大層興味深く感じました。これらのほとんどがトランスジェニック動物によるヒトラクトフェリンあるいはラクトフェリシンの作出に関連したもので、上海に本拠地を置くShanghai Genon Bio-engineeringは、ヤギのミルクに分泌させたヒトラクトフェリンのサンプルを展示ブースにて配布していました。その他にもクローンウシ、クローンヤギ、ヒトリゾチームを分泌するトランスジェニックヤギ、ノックアウトヤギなどを作出、飼育しているとのことです。

その他で組換えラクトフェリン関係はVentria Bioscience (USA)とPharming(オランダ)の発表のみで、Agennix (USA) はここしばらくこの会議から遠ざかっています。Agennix社のウエッブサイトを見ますと、Aspergillusを用いて作成した組換えヒトラクトフェリンの非小細胞肺がんへの抑制効果試験は、フェーズ2からフェーズ3に進んでいるようです。一方、Pharmingの発表では、数種類のヒト有用タンパク質を共分泌するトランスジェニックウシを作出しており(ラクトフェリン濃度 >2.0 g/l)、ニュージーランドで飼育していることが明かされました。

1) DOI 10.1007/s10534-010-9298-0, DOI 10.1007/s10534-010-9300-x

経口摂取による効果について

ラクトフェリンの経口摂取による様々な効果に関連した発表が10題と、全体のほぼ1/4を占めていたのは、ラクトフェリン研究のまさに最近の動向を示すものでした。それらの発表のいくつかを具体的に紹介いたします。

M.Munnich(PharmaSurgics AB、スウェーデン)らは、ヒトラクトフェリン由来のペプチド(PXL01)が、手術後の傷の治りや癒着の状態を改善するというラットを用いた実験を発表しました。また、森下ら(ライオン)は臨床試験でのラクトフェリンの摂取による内臓脂肪低減作用を紹介したうえで、ラット腸間膜由来の脂肪細胞を用いて、ジーンチップによる作用メカニズム解析データを発表しておりました。

臨床関連では、若林ら(森永乳業)がin vitroでの歯周病関連菌とバイオフィルム形成の抑制効果に基づいて行った臨床試験で、歯周病患者がラクトフェリンを摂取して実際に効果が認められたと発表2)し、津田(名古屋市立大)はラクトフェリン摂取による大腸ポリープ抑制と大腸がん予防について発表しました。P.Valenti(サピエンザ大、イタリア)は妊婦の貧血へのラクトフェリン経口摂取の有効性を発表しました。また、ラクトフェリン投与による下痢の防止についての発表もあり、T.J. Ochoa(ペルー大学カイタノ・エレディア、ペルー)らがウシラクトフェリンを12〜18カ月の幼児に投与する試験を行っていること、N.Hang (Ventria Bioscience, USA)も、米に作った組換えヒトラクトフェリンの老人性下痢防止への有効性を検証していることを発表しました。

2) DOI 10.1007/s10534-010-9304-6)

骨代謝関係の発表

骨代謝関連の発表は5題あり、割合からみて比較的多いと思いました。高山(草地畜産研)が軟骨形成前駆細胞を用いてラクトフェリンがその分化を制御している可能性とその推定経路を報告3)し、J.Cornish(オークランド大、NZ)は、これまでのin vitroおよびin vivoでのラクトフェリンの骨代謝に対する効果とそのメカニズムについて発表4)しました。彼女はそのひと月後に東京において開催された牛乳と骨代謝のフォーラム(主催は日本酪農乳業協会)に参加し、このフォーラムを聴きに行っていた筆者は思いがけず再会の機会を得ました。

A.Malet(Armor Proteines、フランス)とA.Blais(Agro ParisTech、フランス)がそれぞれ、閉経モデルとして卵巣切除マウスを用いたラクトフェリン摂取の皮質骨保持の有効性とそのメカニズムについて発表しました。NMR(核磁気共鳴)による構造解析が専門のH.Vogel(カルガリー大、カナダ)は、ラクトフェリンと他のタンパク質(カルモジュリン、リゾチーム、オステオポンチンなど)との相互作用について発表しました。

3) DOI 10.1007/s10534-010-9291-7
4) DOI 10.1007/s10534-010-9320-6

その他の発表

A.Pierce(リール大、フランス)のグループがΔラクトフェリンについて、細胞の寿命を制御する転写因子であると発表5)しました。その他には、ラクトフェリシンとラクトフェランピンのキメラがより強い抗菌活性を示すのではないかという発表6) (N.Leon-Sicaros, シナロア大、メキシコ)がありましたが、これは化学合成したものを用いていました。

後でも述べますが、どの程度まで精製したラクトフェリンを使うべきかという点から、P.Perraudin (Taradon Lab.、ベルギー)は95%の純度と、ラクトフェリンにかたく結合し、抗炎症作用や免疫反応に影響を与えるリポ多糖の除去方法について報告しました。一方、村田ら(森永乳業)は、E. coliに対するラクトフェリンの抗菌性はリポ多糖の高濃度添加によって影響されないというデータをポスターで示していました。

日本から参加した研究者の発表はその他にもありましたので、ごく簡単に述べます。田之倉(東大)はラクトフェリン1分子に70個の鉄イオンを結合させた雪印乳業の鉄ラクトフェリンの構造と諸性質について発表し、山内(森永乳業)はラクトフェリンとラクトフェリン分解物の安全性の確認と育児用調整粉乳その他の乳製品への応用の現状について発表しました。島崎は、あまりに膨大なラクトフェリン関連情報の氾濫をスマートに乗切る一手段として、コンピューターを用いたテキストマイニング技術の有効性について発表7)しました。その他にも玉置ら(昭和大歯)がポスター発表し、一方、大槻(昭和大医)や桑田ら(NRLファーマ)も参加していたが、今回の発表はありませんでした。

5) DOI 10.1007/s10534-010-9305-5
6) DOI 10.1007/s10534-010-9306-4、DOI 10.1007/s10534-010-9295-3
7) DOI 10.1007/s10534-010-9311-7


写真  森永乳業のブースの前で。向かって右から森下(ライオン)、若林(森永乳業)、高山(畜産草地研)、村田(森永乳業)、山内(同)、櫛引(畜産草地研)。(写真は村田提供)

その他に気が付いたこと

過去の発表で多く見られた電気泳動やクロマトグラフィーのパターンが最近の発表からはほとんど消えていることに気が付きました。前述のPerraudinのスライドと組換えタンパク質精製のスライドで使われていた程度でした。たとえば、前述の上海Genon関連の発表では、ヤギラクトフェリン、ヒトラクトフェリン、組換えヒトラクトフェリンがイオン交換樹脂で若干違って溶出するために、分離が可能であるとのデータを示していました。ところで、ラクトフェリンの分離分析や立体構造の解析を主なテーマにしてきた研究者には、新しい考え方、たとえばラクトフェリンと他のタンパク質との相互作用や、金属イオンとの結合がラクトフェリンの活性にどう影響するかの具体的なイメージの提示が迫られているようです。

ラクトフェリンの標準をどうする?

国際会議の日程が全て終了してから、一部の参加者によってラクトフェリン研究の今後についての話合いの場が持たれ、ラクトフェリンの標準をどうするかということが話題になったそうですが、前向きな議論にはならなかったとのことでした。このラクトフェリン標品と活性の標準測定法については、ラクトフェリンを使って仕事をする研究者が必ず悩むことですが、現在のところ、全くそれぞれの研究者に任されているのが実情です。ラクトフェリンに関して標準法あるいは公定法が存在したら良いと期待されている事柄は数々あります。純度の測定法、これはラクトフェリン原末あるいは試薬メーカーから入手した高価なラクトフェリンであっても、純度表示はあるものの測定法によってその数値が変わることはよく経験することです。活性の測定法、これは非常に難しい問題です。「この錠剤に含まれているラクトフェリンの活性はどの位ありますか?」と質問されることがありますが、そもそもラクトフェリンは多機能なために、「活性」といってもどの活性を標準にしたらよいのか、また、抗菌活性に限定しても標準で用いる対象菌株が決まっていないので、何とも答えようがないことになります。

おわりに

最後に、この会議での発表内容はBioMetals (Springer、インパクトファクター 2.801) に収載予定ですが、すでに一部の論文はOnline Firstのpdfファイルにアクセス可能となっています。本稿で触れた発表内容でDOIが判明しているものはできるだけ記載しました。また、次回(2011年)の開催地はメキシコに決まりました。皆さまの参加をお願いいたします。(敬称は全て略させて頂きました)


写真  関係者の集合写真。
向かって左端が筆者、3人目後が津田、その横がBo Lonnerdal(カリフォルニア大、USA)、中央のA.Schryvers(カルガリー大、カナダ)と2人、飛び抜けて背が高い。右端から3人目がA.Pierce(リール大、フランス)、その横がP.Valenti(サピエンザ大、イタリア)。
写真は会場スタッフ撮影。